同じ時代に生まれて

 

ふうまくんがもうすぐ学生を終了させる。わたしが知っているのは学生であるふうまくんだけで、学生じゃなくなるふうまくんをわたしは知らない。未知の世界がそこには広がっている。その未知の世界に踏み出すふうまくんをこの目で見ることができるのはドルオタとしてこの上ない幸せだと感じる。

 

わたしは「自担がアイドルを職として社会に出ていく姿」をこの目で見た経験がある。山田涼介が学生の肩書きを降ろすその時をこの目ではっきりと見届けた、その思い出がある。

 

わたしという狭い世界で感じた話であることを前提としていただけたらと思います。比べることでどっちが良くてどっちが悪いとかそういう評価をするつもりもありません。ただ、わたしから見て感じられることを書いていきます。

 

 

やまはアイドルであるが故に学生を満喫することが出来なかった人。クラスは芸能人ばかり。一歩門を出ればファンがいる。文化祭は別教室で待機。修学旅行先で満足に外を歩けない。アイドルである以上、少なからずそういう学生生活が待っていることは仕方のないことだろうとわたしは思っていた。しかし度が過ぎていたことは認めざるを得ない。卒業をしたときに「振り返れば3年間ちゃんと通って卒業までできて良かったなと思う」と話していたことは忘れられない。3年間が終わるまで、過去のものになるまで、そのことの尊さに気付くことが出来なかったその学生生活がどれだけ精神的に負担だっただろうか。学生生活が終わることに未練がなく、社会に出る喜びに胸を弾ませる姿は誇らしいと同時に少し寂しくもあった。

 

でも、今わたしがまさにこの目で見届けようとしているふうまくんの旅立ちは輝きと同時に必ず寂しさがつきまとう。学生を終えることに対しておたくよりも本人がずっとずっと感慨深げだ。ふうまくんが通う学校は「普通」の学生が「普通」の生活を送る学校でふうまくんの武器である「普通」の感覚を身に付けるとっておきの場所であっただろう。わたしたちの手の届かない場所で活動しながらわたしたちと同じ土俵で同じような感性を磨くふうまくんはとても器用な人だなぁと思う。アイドルをしながら学生生活を等身大の姿でこんなにも満喫できる人がいるとは思いもしなかった。ただただ、すごいと思う。学生生活に青春を感じられるジャニーズアイドルがとても新鮮に感じた。ふうまくんの学生生活をリアルタイムでずっと追ってきたわけではないのでなかなか深いところまで話すことは出来ないが、ふうまくんのセンスを磨いた貴重な時間だったに違いないと思っている。

センスというのはもともと持ち合わせている感覚ではなく、生きていく中で感じて身につけたものをどのタイミングで用いることができるかだと考えている。ともすると、センスの良い人はセンスが良くない人に比べて沢山の引き出しを持っていることになる。沢山の引き出しを持っているということは沢山のことに触れ、沢山の感情に出会ったということだ。わたしはふうまくんのセンスに惚れている。ことごとくやられている。きっとそう思う人も少なくないだろう。ふうまくんはどれほどのものに触れ、どれだけの感情に出会ってきたのだろうか。ごく普通の世界と煌びやかな世界と2つの世界を行き来するふうまくんはきっと人が一生で出会うことのできる感情の倍近くは自分のものにしてきているのだろう。リアルな部分を残しつつ、夢の世界を生きる人。それはまさに「なれそうでなれない人になる」という目標を掲げるふうまくんそのものである。少し話は逸れたが、学生生活の集大成として書いた数万字に及ぶ"大作"のテーマが「新しいライブを作る」であることがとても彼らしい。学生生活を終えるとき、次のステージがハッキリと見えているふうまくんのことを考えると胸が踊る。

 

やまは言わば、住んでいる世界が違う人。見ているものも物の感じ方も違うなあといつも思わせられる、そんな人。一方ふうまくんは、同じ世界にいながらも一生出会うことのできない人。ふうまくんの感性に触れるたびにそのリアルさを見て身近に感じてしまいがちだけれど、自分の周りを探してみても出会うことはできない。同じ世界で生きる裕翔くんやちねんくんに出会いアイドルをするやまと、絶対に出会うはずのないけんとくんと出会うべくして出会い共に同じ夢を追っているふうまくんはどちらも"らしい"なぁと思う。

 

アイドルにとってどんな学生生活が正しいのか。そんなものはきっと答えのないものだ。きっと誰の学生生活も正しい。同じ時代に生まれて全く違う学生生活を送る2人を見ることができて、わたしの感性もまた磨かれたように思う。

 

 

残りわずかになった学生の肩書きを持つふうまくんをこの目にしっかり焼き付けたい。